ボリビアでの教師研修会(記H)

<国語指導ができるオキナワ校>

 ボリビアにある5校の日本語学校の先生方は、年3回研修会を開いている。従来は、サンタクルスにある日本人会館を借りて催されていたが、財源難のため今年度からは研修会の担当校を会場にすることになった。今年度はオキナワ第一日ボ学校が担当で、早くから原案を練り日語校及び普及校どちらの先生方にとっても有意義な研修会になるよう考えた。
ところで、日本における教師の質の高さは100年以上に及ぶ授業研究会にあると言われている。代表教師が授業を行い、それを他の教師が参観して、全員でその授業の良かった点並びに悪かった点について検討し、その後の授業に活かすというのが授業研究会である。公立の小・中学校ならば少なくとも年1回は、この様な授業研修会を校内で持ち、指導主事にその指導を仰ぐというパターンが一般的である。国立大学の附属小中学校では、春秋の年2回が最低で公開授業を行い、その他にも頻繁に授業研究を行っている。それゆえ、附属で勤務した教師は力量が高いとされ、その県や市の指導主事や管理職として転任するケースが殆んどである。特に、お茶大や筑波大附属校での研修会は歴史もあり有名で日本全国から参観者が集まり、その数は800名から1000名になる時もある。
<熱心に討議するボリビアの先生方>

 この日本での優れた授業研究会をボリビアで取り入れることにより、先生方に力をつけて欲しいと私は着任以来考えてきた。しかし、決して無理をせず押し付けでなく、先生方自身が自分達にとって役に立つことなのだと納得して一歩踏み出して欲しかった。
 今年度の研修会の担当校であるオキナワ校には、この新しい試みを抵抗なく受け入れる素地があった。なによりも一人一人のやる気と実力。平均年齢も39歳と若く年齢構成も20代から50代まで均衡がとれ、職員室にはいつも笑いが絶えない和やかな雰囲気を持っているのだ。
 最初に「どなたかお一人でいいので代表授業をしてみませんか。」と話を持ちかけたら、間もなく「低、中、高で3名しましょう。」との返事。また「代表授業の前に、校内で他の人が授業すれば、後にする人の参考になるから出来るだけ多くの人がやりましょう。」ということになったとの嬉しい知らせ。私は何度もオキナワへ足を運び、指導案の検討から始めた。
 オキナワ校には、まるで日本語が通じないボリビア人の子が3名入学した上、日系人の子どもたちの中にも、日本語での日常会話さえ十分でない子がいる現状では、そっくり日本の学校での国語指導法を真似できない。かといって、全員が日本語を外国語として学ぶ指導法も通用しない。そんな訳で、ボリビア方式の指導案作りから始めた。
<45分集中できる1年生>

 今年度の研修のテーマは、「日本語の確実な定着を目指して」ということで、日本語指導を前面に打ち出し、教材はJICA作成の「日本語ドレミ、ジャンプ、チャレンジ」を使用しながら、子どもの実態に合った指導をしていくことになった。
 1年生 G先生(30歳) にほんごドレミ  13課「からだ」
 4年生 A先生(46歳) にほんごジャンプ  7課「町のお祭りです」
 8年生 M先生(37歳) 日本語チャレンジ 19課「ぼくの夢」「私の夢」
<文型「〜がいたい、かゆい」>

 聞くところによると、8年前の研修会である先生が授業をしたところ、後で持たれた話し合いの場で、皆から批判や酷評が相次ぎ「もう決して授業はしない、見せたくない。」となり、それ以来授業研究が途切れていたそうだ。
 その話を聞いていたので、授業参観に先立って、私から「授業の見方とポイント」をお話した。人のあら捜しは簡単だが、良い授業のポイントは何かを理解したうえで参観し、できれば授業に立つ人のご苦労まで理解できたら良いと思った。
<カードの置き方についてアドバイス

 一ヶ月以上に及ぶ指導計画の検討と子どもにいかにして分かりやすく新しい文型を提示するのかペープサートや絵カードで工夫したかいがあり、3人3様教師の個性を生かした授業になった。その後の話し合いでも「ねらい通りの授業をしていたので感心した」「ペープサートや写真など教具の工夫や場面設定が子どもに分かりやすかった」「歯切れ良くテンポのある授業だった」「絵カードでの文型導入が分かりやすかった」「日頃の授業の積み重ねが活きている」等等の感想が多く聞かれ、参加者全員にとって有意義な研修会になった。職員室に戻った授業者は「緊張したが、皆の前でやってよかった。何よりも自分の勉強になった。」と謙虚に話され、この前向きな姿勢に「オキナワ校は、発信基地になれる」と確信した。
ボリビアと日本の祭りの違い>