ブログ再開 「パラオ」編(記W)
JICAボランティアで行ったボリビアから帰国し、1年半が経ちました。
この間、ボリビアオキナワ村で知った、日本の沖縄を一度見ておこうとか、スペイン語を忘れないうちに一度スペインにいってみようとか、いくつかの旅をしました。
その間JICAボランティアへの夢をまた見ていた「Hさん」は、再度挑戦し今度は「パラオ共和国」へ算数の指導へ出かけることになりました。
ボリビアに比べて治安が良い国ですので、私「W」は同伴せず一人で本日成田から旅立ちました。
私もまだ一度も行ったことがない国ですので、そのうちたずねてみたいと思っています。ボリビアの時のようには行かないと思いますが、「パラオ」についてもまた少しブログで紹介したいと思います。
とりあえず、パラオについて少し調べましたので、それを紹介します。
1.パラオは太平洋の西側フィリピンの東側に位置します。
2.面積
488平方キロメートル(屋久島とほぼ同じ)
3.人口
20,278人(2008年、世界銀行)
4.首都
マルキョク(2006年10月、コロールより遷都)
(Hさんは、旧首都のコロールに住む予定です。)
5.言語
パラオ語、英語
(Hさんには、赴任後何日間かパラオ語の特訓が待っているようです。)
6.歴史
年月 略史
1500年代 スペイン人がミクロネシアの島々を発見。
1899年 スペインがミクロネシアの島々を独に売却。
1914年 第一次世界大戦始まる。日本はパラオを含む独領ミクロネシア(南洋群島)を占領。
1920年 国際連盟から日本の(パラオを含む)ミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
1922年 南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁がコロールに設置される。
1945年 第二次世界大戦終了後、米軍占領始まる。
1947年 国連の太平洋信託統治領として米国の統治始まる。
1965年 ミクロネシア議会発足。パラオも代表を派遣。
1969年 太平洋諸島信託統治地域に関する日米協定(ミクロネシア協定)締結。
1978年 住民投票の結果、パラオはミクロネシア地域の統一国家からの離脱を決定。
1981年 憲法発布。自治政府発足。
1982年 米国との間で自由連合盟約(コンパクト)案合意。
以後、1983年2月、1984年9月、1986年2月、1986年12月、1987年6月及び8月(無効)、
1990年2月の7回住民投票が実施されたが、75%以上の賛成を得ることが出来ず不承認。
1992年 住民投票にて憲法修正案(憲法の非核条項を自由連合盟約に適用しないことにより
コンパクト案承認を容易にするもの)が承認された。
1993年 第8回目の住民投票によりコンパクト案承認(11月9日)。
1994年10月1日 コンパクト(注)発効(2044年まで有効)、独立。
1994年12月 国連加盟
(注)コンパクト:米国の国連信託統治から独立する際に、米国との間で締結した自由連合盟約のことで、有効期間は50年間。2009年までの15年間は米国より財政支援を受ける一方で、国防と安全保障の権限を米国に委ねている
パラオの写真をいくつか紹介します。
1.ガルメアウス島
2.ロングビーチ
3.海中に沈んだゼロ戦