どんど焼

<インターネットで調べた「どんど焼」の記事>
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子の場合もある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。

どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。

 ここ群馬でも、「どんど焼」が行われている。私の育った伊勢崎方面では「どんどん焼き」と言っていた。群馬のどんど焼の特徴は、昔から養蚕がさかんだったので米の粉で「繭玉」を作って、「どんど焼」の残り火で焼いて食べることである。
 中泉地区でも毎年行われているが、今まではあまり参加した記憶が無い。しかし、今回は昨年の4月から区長をやらされているため、その準備段階からかり出されたので紹介する。
 ① やぐら建て・繭玉用竹串作り
 1月8日(日)区の役員・育成会の父兄約50人が参加して「どんど焼」の準備を行いました。地区の神社の裏の竹林から、50本ほどの青竹を切り出し、10mほどの「どんど焼のやぐら」を立てました。また竹の枝で繭玉を指す竹串を200本ほど作りました。
<女性陣は、竹串作りを・・・>

<やぐらの土台作り>

<10mほどのやぐらの完成>
  てっぺんには両目が入った縁起だるまを・・・

② 繭玉作り
 1月14日(土)  役員・育成会の父兄と子ども達の100人ほどが参加して、繭玉作りを行いました。子ども達は繭玉作りと竹串に繭玉を刺す作業をしてくれました。おでん・焼きそばと甘酒ををたくさん作り、繭玉作りが終わったところで、みんなで頂きました。
<子ども達の繭玉作り>

<繭玉をゆでたり、甘酒を作るのは男性陣>

<たくさんの繭玉>

③ どんど焼
 1月15日(日) まだ真っ暗な朝5時半より7時の点火に向けて準備を行いました。7時の点火前には小学生の太鼓演奏もあり、200人ほどの区民の皆様が参加されて盛大などんど焼になりました。
<朝5時半より、甘酒造りなどの準備を開始>

<小学生の太鼓演奏>
  会場での演奏前にトラックに太鼓を載せて、区内を回って「どんど焼」を触れ回った。

<7時に点火>

<点火から10分ほどで・・・>
  書初め・だるま・門松なども一緒に燃やしました。

<残り火で繭玉焼>

 ここ群馬地区でも、放射能の影響で「どんど焼」を中止した町内がいくつかありました。残念なことです。