退避命令が下りました(記H)

 JICA青年達は年2回の総会に出席する。2日から3日間かけてJICAからの連絡を受けたり、青年達の報告があったり貴重な情報交換の場になっている。以前は、シニアや専門家はその会には出席しなかったが、昨年の発砲事件以来、私たちもラパスへ招集され安全についての情報を得る。
 今回の総会は、サンタ県のボランティアにとっては他の意味を持っていた。それは、5月4日に予定されている自治権拡大に向けての選挙に伴い危険が増すであろうとのことで、青年達はそのままラパスに留まり退避が解けるまでサンタには戻れない。
イリマニ山とラパス市内を一望>

 4月24日、8時にラパスへ到着したので、午前中はラパス校のS先生とおしゃべりを楽しむことにした。6回目のラパスだけれど、市内観光をあまりしていない私に、S先生が国会議事堂があるムリリョ広場へ案内してくれた。庶民の憩いの場になっているムリリョ広場は3年前には戦車が出動するほど混乱したらしい。そういえば以前に、ラパス隊員から「その時には、『ガスや水、食料品を2週間分用意せよ』と事務所から連絡を受けた。家の外へ出られなくて困った。」と聞いたことある。それは前大統領のデタラメさ加減に国会議員だけでなく市民が憤り、彼は身の危険を感じてアメリカへ亡命したとのこと。現在は、選挙で選ばれたエボ・モラレス大統領が国を治めている。
<ムリリョ広場から見た大統領官邸>

 ところで、この国にクラッシックバレーがあることを知らなかったのは私だけでしょうか。Sさんのお嬢さんがバレーを習っている国立バレー学校を見学した。国立劇場で踊るプロのバレーダンサー達が練習を終えて帰り支度をしていたが、Sさんが「この人はJICAの方で、今日しかラパスにいない人です。」と頼み込んでくれ撮影を許してもらった。なんと、数名の方たちが私のためにポーズを執ってくれたではないか。感激。ボリビアキューバの影響も受けていて、医学だけでなくバレーもキューバ人の先生が来ているらしい。キューバといえば前大統領のカストロ、共産圏のロシアと深い繋がりがあったので、キューバ国内のピアニストやバレーのレベルは高いらしい。プロのダンサー達はみな美人で白人系だった。でも、その人たちが練習する建物は傾いていて壁は何本もの丸太でつっかい棒がされていた。芸術には、あまり国の補助がないのかもしれない。床もミシミシ音がしていた。
<プロの踊りの見事さ>

 スペイン植民地時代に逆戻りしたような丸い石を敷き詰めたハエン通りには、博物館が4つある。私たちは音楽博物館を訪れた。そこには、ボリビアの楽器だけでなく日本の琴やブリキのおもちゃ等も飾られていた。白い建物が並ぶ細い通りは観光客がいなかったためか、静かで18世紀にいるような錯覚を覚えた。
 <見事な石畳の通り>

 午後の会議は、「日本の大使は、他の大使から羨ましがられています。それは、JICAのボランティアの活動がボリビア国に評価されているからです。」という田中大使の挨拶で始まった。その後、領事や書記官から在外選挙人登録の説明や安全情報があり、JICAの担当から安全対策や今回の退避命令について連絡を受けた。その説明によると、自治制度をめぐって政府側と県側が激しく対立し、サンタクルス、ベニ、パンド、タリハの4県が危なくなるとの見方が示された。特に、自治権拡大に向けての県民投票が一番最初に行われるサンタ県が投票実施に向けて妨害されるかもしれないとのこと。私が聞いた範囲では、コカレーロスといわれるコカ栽培者が多数サンタ県へ流れ込み投票を妨害するのではないかとの見方があるし、3、000人くらいのエボ派の人間をラパスから送り込むだろうという話も聞いた。「道路封鎖はあるだろう」とビルの警備員さんも言っている。もしかしたら、多数の警察官や軍隊を中央政府すなわちエボ大統領が送り込むかもしれないとの噂もある。「エボは選挙を阻止できないので、ベネズエラフーゴチャベスに助けを求めた」と言う話も聞いた。最悪、戒厳令が布かれて軍隊が出動し混乱が起きる可能性もある。
 そんな訳で私たちは5月1日よりコチャバンバへ退避することになった。海抜3,600mのラパスでは、きっと高山病になってしまうと判断したJICA事務所が1,000m低いコチャバンバでもOKを出してくれたからだ。私たちの健康にまで配慮してくれた方達に感謝している。
<様々なシャランゴが陳列されている博物館>