命がけのポトシ行き(記H)

 ポトシは標高が4,600mと高いのでWさんは「行きたくない」「一人で行けば」と言っていたのですが、旅行社へ相談に行くと「ウユニからさらにチリ寄りの所に、湖の色が緑や赤に見えて美しい場所があります。お勧めですね。」と言われ、5,000mの所よりましかと思ったのか「ポトシに行こう」と言い出したのです。そんな訳で、最後の国内旅行を3泊4日で銀鉱脈で有名なポトシに決めました。
 19日サンタ発10:00予定の飛行機が遅れて10:20発になったと思ったら、滑走路を10分も走らない内に「皆さん降りてください」の放送があり、全員待合室に戻されました。結局トラブルの原因もアナウンスされないまま他の機体に乗り込んで11:55発になってしまいました。
 スクレーへは昨年の4月に旅行しているので、スペインから独立する時に独立宣言文が調印されたという「自由の家」くらいしか行きたい場所はありませんでした。昼食後に、昔は教会だった場所が現在は女子高になっていて、屋上まで登れると聞いたIgresia y Convento San Felipe Nerihへ行ってみました。ガイドさんがいて、教会の内部や様々な宗教画を見せてくれ、最後に屋上へ案内してくれました。南国の青い空に世界遺産のスクレの町並みが見渡せて、古い瓦屋根や歴史ある建物が一望できました。
世界遺産の町並み>

初日の夕方からWさんの体調が悪くなり「夕飯はいらないよ」と力なく言いました。そして、翌日には「ホテルで寝ているから」とのことなので、私一人でポトシへ行く事に決めました。私は、8:30市場へパジャマと薬を買いに走りましたが、ホテルで聞いたMercado Centroには洋品類が売っていなかったため、そこから4ブロック先のMercado NegroまでTAXIで行きました。坂道のため、ちょっと歩くと心臓がパクパクしてしまうのです。市場は、まだ店開きしている店が数件しかなく「パジャマ屋は昼頃でないと開かないよ」と教わり、困惑してしまいました。
でも、Tシャツ屋のおじさんが「何を探しているの」と聞いてくれたので「パジャマです。」と答えると「あるよ」と、地獄に仏とはこのことでしょうか。どんなサイズでも形でもかまわないと思って見せてもらうと、Wさんに調度よい物がおじさんの手に握られていたのです。市場の近くの薬屋で、下痢止めを買おうとしたら、おばさんが「4粒で様子を見て下さい。」と言ったので、私が「もうすこし多めにお願いします。」と頼んだのですが、貧乏人に見られたためか「いいから、これで試してごらん。」と4粒しか売ってくれませんでした。ボリビアでは薬を1粒しか買えないという人たちが多いと聞いていましたが、売りたがらないのも可笑しいですね。
 Wさんをホテルへ残して、ポトシまでバスで行きました。現地の人たちが乗るフロタという大型バスは、途中でパンクしたので4時間もかかってポトシに到着しました。10時に乗り込んでから、飲まず食わずだったのでお腹がペコペコでした。高山では食べすぎ飲みすぎは禁物です。ですから、昼食を抜く事に決めて、ホテルへ荷物を置いてから、中央公園まで歩いてみました。
 <ポトシには30以上の教会があるそうです>

 次にCasa de la monedaと呼ばれる造幣局を見学しました。1750年に建設を始めてから23年もかかって完成した建物で、当時はポトシで取れる銀でコインを作っていたそうです。でも、現在ボリビアのコインはスペインから輸入しているとガイドが言ったので驚きました。何でも輸入に頼っているボリビアですが、今後、製造業に力を入れなければ産業が発展しないでしょう。博物館の中には宗教画、コインやコイン製造機などが整然と展示されていました。ガイドは厚地のダウンジャケットを着込んでいましたが、私は、昼間の格好でしたので石造りの建物の中は寒くて手がしびれる程でした。
 <この仮面は、当時の先住民の象徴だとも言われている>

 いよいよ鉱山ツアーの日です。標高4,965mのセロ・リコ山で、1545年に先住民が銀鉱脈を発見してから、このポトシの町は豊富な銀で潤ってきたそうです。現在、ボリビア国旗の真中にはコンドルの下にこのセロ・リコ山が描かれています。国旗は3色で赤、黄色、緑。赤は革命で流された血の象徴、黄色は銀の輝き、緑はジャングルの木々の色を表しています。中央に描かれているということは、いかにポトシボリビアで重要な位置を占めているかということでもあります。
<遥かにセロ・リコ山を望んで>

 現在も掘り続けている鉱山を見学するツアーは80Bs。ツアーは4時間と聞いていたので「酸素の薄い場所に4時間も閉じ込められて生きていられるかな」と心配しましたが、せっかくボリビアに来たのに、この鉱山を見なければボリビアは語れないと思って申し込みました。
 まず、ホテルから15分バスで行った小屋で、英語ガイドとスペイン語ガイドに分かれて説明を受けました。英語チームはオーストラリア、カナダ、ドイツ、アメリカ人に私の7名でした。坑道の中は大変暑くて40度くらになると聞いてから、カッパに着替えました。それから、20分くらい行った市場で、鉱夫たちへのみやげを買わされました。ジュース、コーラなどの飲み物に加えてコカの葉やダイナマイトをめいめいで用意しました。それらは、いよいよ坑道へ入る所でガイドが集めてリュックへ積め、中で働く人たちにそれぞれ配っていきました。
<カッパがやけに似合っています>

 7名の見学者の内、女性だけが山の神が祭られている場所までトロッコで行き、男性は歩かされました。現在、坑道は第1から第5まで45mと深く掘り下げられていて、現代的な道具がないため鉱夫の感だけで穴を掘っていくそうです。運のいい人は大金持ちになれ、悪いひとは貧乏のままだとか。ガイドのお父さんは33年間この坑道で働き、最後はアスベスト被害のため肺を悪くして死んでいったそうです。男2、女3名の兄弟の長男として生まれた彼は当然のように父親の跡を継ぎ、11年間炭鉱夫として働いてきたのですが、3年前に危険な目に遭い、奥さんから「貧乏でもいいから鉱夫を止めてくれ」と言われて転職したそうです。
<トロッコの乗り心地は?>

 坑道の中は、埃っぽくてマスクの効果はあまりありませんでした。首に巻いていった手ぬぐいを口に当てて急場を忍びましたが、この時、手ぬぐいの良さを感じました。日本人の優れた知恵ですね。他の人は10Bsで買ったバンダナを口に巻いていきました。狭い坑道を一人ひとり四つんばいになったり、頭に注意したりしながら2時間歩き続けました。5年前に日本人観光客が写真を写していて、下ってきたトロッコに気づかず3m50cmの穴に落ちて死んだ事や、ドイツ人がトロッコに足の親指をさらわれて切断した事などを聞いていたので、慎重にガイドの指示に従って行動しました。
<全て手作業で掘っています>

 その日は、生憎その会社の労働者は、半数が賃金値上げ運動の抗議行動のためにポトシの町へ行ってしまい、半数しか働いていませんでした。現在、セロ・リコからは錫などの鉱物が取れ、42社が競っているそうです。もちろん、社長は白人系で占められ、その下で働く人は現地人だけなのです。社長は空気の薄いポトシには住まず、お洒落なスクレの町に住んでいるとのこと。現在、錫景気で経営者だけでなくポトシの町も潤っていると聞きました。
 見学の最後はダイナマイトを爆発させるイベントで締めくくられました。希望者は市場で買ったダイナマイトに火をつけ、現地人が、煙が立っている危険物を持ちながら近くの場所まで移動して爆発させるというものです。男性達は嬌声をあげて喜んでいました。
<ダイナマイトは鉱夫へのみやげでもありました>

<爆発現場>