京都・奈良 華やぎ桜旅情(奈良編)

 2日目の日程は、世界遺産「吉野 千本桜」 → 大宇陀の又兵衛桜 → 長谷寺 と回り、伊丹発19:00の全日空で羽田に戻り、バスで高崎へ。
 朝7:45にホテルを出発。土曜日なので道路の混雑が予想されたが、幸い少しの渋滞ですみ9:40分には、吉野の駐車場に入ることが出来た。今回のツアーはバス2台に分かれていて、2台目のバスは8:00に出発したところ、到着は11:00になってしまったようである。ラッキー!!
 帰りのバスは、1:00発ということで吉野の桜をゆっくり堪能することが出来た。
 駐車場をスタートするとすぐに「下千本」の絶景に出会う。
<下千本>

<国宝の仁王門は修理が行われていた。>

 花供懺法会・花供会式は、蔵王権現のご神木・山桜の満開を御本尊に報告する行事で、1000年の歴史を持つ金峯山寺の伝統法会で、奴行列を先頭に金峯山の鬼、お稚児さん、山伏、僧侶、そして行列の最後は管長猊下が乗られた大名籠と続く10万石の格式を持った行列が行われる。
 ラッキーなことにこの大名行列を見ることが出来た。
<僧侶の行列>」

<山伏の行列>

<管長猊下である大僧正が乗った大名籠

 この後バスで上千本まで行こうと思っていたが、バス待ちの時間が50分もあるというので上千本は断念しバス停近くで少し早い昼食にした。
(後で聞いたところ、上千本はまだ2・3分咲きだったようである。)
<吉野名物の柿の葉寿司の昼食>

 昼食後、中千本の脇を通って後醍醐天皇陵のある如意輪寺まで歩くことにした。
<中千本に圧倒される。>


<中千本越しに金峯山寺蔵王堂を望む>

 後醍醐天皇建武の中興を果たしましたが、それも束の間の夢と破れ、天皇は延元元年(1336)京都花山院をのがれて吉野山に身を寄せます。その後、吉野行宮(南朝)を起こしますが、延元4年(1339年)8月16日皇位後村上天皇に譲り、52歳でここ吉野金輪王寺崩御されたそうです。 後醍醐天皇の遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、塔の尾へ埋葬され、後醍醐天皇の御意志どおりに京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名です。
後醍醐天皇陵>

 『又兵衛桜』 戦国武将として活躍した後藤又兵衛がこの地へ落ちのび、僧侶となって一生を終えたという伝説が残っており、この枝垂桜も後藤家の屋敷跡にあることから又兵衛桜と呼ばれています。樹齢300年とも言われ、幹周約3m 高さ13mの見事な桜です。
 「又兵衛桜周辺整備協力金」が一人100円集められており、そのためか以前来た時より整備が進んでいました。

<石垣の上にそびえる又兵衛桜

 長谷寺は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。本尊は十一面観音、開基は僧の道明とされる。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。
<仁王門:長谷寺の総門で両側に仁王像、楼上に釈迦三尊一六羅漢像を安置している。

<登廊:平安時代に造られ百八間、三百九十九段ある。明治二十七年の再建で長谷型灯篭を吊るしている。>

<牡丹の盛りには早かったが、早咲きのシャクナゲに出会えた。>

<本堂の舞台からの眺め>

五重塔:昭和29に戦後日本で初めて建てられた五重塔

 Hさんが京都観光協会に問い合わせ「10日頃が満開でしょう」との話に11,12日の旅を申し込み正解でした。醍醐寺の桜以外は、どこも満開で日本の桜の美を堪能することができ、最高の「桜旅情」でした。