安中教会と新島襄(記W)

 6月5日、 富岡製糸場を見学した後で安中教会と新島襄の足跡を訪ねるため安中へ向かう。富岡から20分ほどのところである。
 安中教会は群馬県で最初のキリスト教会であり、同時に、日本人の手により創立された日本で初のキリスト教会でもあります。1878年明治11年)3月31日新島襄より湯浅治郎をはじめとする地元の求道者30名(男子16名、女子14名)が洗礼を受けました。 1919年(大正8年新島襄召天30周年を記念して新島襄記念会堂が竣工し、以来90余年ここで安中教会の礼拝は守られています。残念ながら、予約をしておかなかったので内部は拝見できませんでした。
<石造りの安中教会>

<教会の隣にある「旧碓井郡役所」では、「新島襄ヒストリート」の展示が行われていた。>

 この後、車で5分ほどのところにある新島襄の旧宅に向かう。
 新島襄は、京都同志社大学創始者で、大河ドラマ「八重の桜」の主人公「新島八重」のご主人である。群馬県人なら誰でも知っている上毛かるたで「平和の使い新島襄」と詠われている。
新島襄が京都に行くまで暮らしていた旧宅。その後昭和30年代まで民家として使用されていたのを安中市が引き取って展示館としているとのこと。>

<台所>

<居間と床の間>

<展示室 新島襄の写真>

 新島襄安中藩士新島民治の長男として生まれ、青年時代にはアメリカへ密航します。アメリカ在住の時(明治5年)通訳として、岩倉使節団随行して 欧米の教育事情を視察しました。アメリカで10年間、学問とキリスト教を学んだ襄は帰国後キリスト教精神に基づく大学の設立と布教活動に従事します。
<密航の時、函館から上海まで乗船した アメリカ船「ベルリン号」と、セイヴォリー船長>

<第3回全国基督教徒大親睦会 1883年(明治16年)>
 2列目右から4人目 新島襄 5人目 内村鑑三 1列目右から5人目 津田仙(津田梅子の義父)

 ここ安中でも貴重な群馬の歴史に触れることができました。