オキナワ第2移住地訪問(記W)

8月3日、4日のちょっと古い日記です。

 サンファン学園引き続いて、オキナワ第二移住地にある日本語学校「ヌエバエスペランサ日本語補習校」の視察に、8月3日にうかがう為、当日サンファン学園に出かけると、タクシーの運転手が来て、途中の橋が工事のため12時から交通止めになると知らせに来てくれた。サンタクルスに帰る途中の橋であるが、この橋を通らないと回り道もなく行くことが出来ないとのこと。ボリビアでのストライキは道路封鎖が一般的と聞いていたが、本当に2,3本の道路を封鎖すると、町が孤立してしまうことを身を持って知らされた。

アメリカの援助で作られ、今日本の援助で改修している問題の橋>
    藤田建設請負

 タクシーの予約を翌日の朝一番に変更し、翌日オキナワ第二移住地に向かった。
 オキナワの移住地は、第一、第二、第三とあり、それぞれ20Kmほど離れているとのこと。第二、第三への道はまだ舗装されていない。第一移住地から右にそれて、両側に広がる畑を見ながら埃の中をひた走る。
 オキナワ第2での宿舎は、JICAのCETABOLという農業試験場の中にある学生寮を兼ねたもので、炊事設備はないがこぎれいなところである。
 第2移住地には、2軒のお店と1軒の食堂がある。お店には日本食品もかなり置いてあり、ここに住んでいる日本人教師(現在男子教師2名)もそれなりの自炊生活をしているとのこと。
 学校視察後先生方とPTA役員さんによる歓迎会が、唯一の食堂で行われた。
 メニューは、魚の刺身(淡水魚の養殖らしい)、サラダ、チキン等と美味しいものであった。ビールはさすが沖縄系の人が多いため、小柄な女性教師を含めみなさん酒豪が多く、何本飲んだか数え切れなかった。
 歓談の中で沖縄から派遣されているA先生が、最近学校に来る途中草むらでおおきな蛇に咬まれそうになった話から始まり、PTAの人の移民当時の武勇伝に花が咲いた。
 この武勇伝をちょっと紹介します。

<Yさんの武勇伝>
その1 さそりに咬まれた
 5,6歳の時、夜中に足の先を何かに咬まれ、痛いため大騒ぎをしたら、父親がランプ(当時電灯はついていない)で調べてさそりがいたので、大急ぎで数10キロ離れた医者に馬で連れて行ったが不在で違う医者を訪ねたがまた不在。足がたいそう腫れてきたので、毒が回らないように腿をきつく縛り、看護婦が来るのを待ったとのこと。
 看護婦が来て縛った紐を解き、このまま数時間したら足を切断しなければならなかったと話しているのを聞いたとのこと。どうもさそりに咬まれた時は、縛ってはかえって悪いようである。蛇の場合も同じであるが、ラップ又はビニール越し(じかは口内に傷あるとやばい?)に少しでも毒を吸い出すのが良いようであるが、今はとにかく早く医者につれて行くのが先決のようである。(48時間以内??)

その2 アルマジロ(6,7歳の時)
 家族がいないとき、小さい兄弟を連れて猟犬数匹ととジャングルに入る。猟犬がアルマジロを見つけて吠え続けた。穴に逃げようとするアルマジロの尻尾をつかんで引っ張るが穴の中で足を踏ん張って抵抗するので引っ張りきれない。なた(日本の刀を短く太くした形状)で背中をめったざしにし、ようやく捕獲したとのこと。家に持ち帰り料理してもらったら鶏肉に近い味だったと話していた。
当時はタンパク源確保に子どもも協力したという話しである。移住地の方たちは、鹿なども食料として狩猟したらしい。移住当時は厳しい生活であったが、食料には困らなかったらしい。今も魚釣りと並んで趣味として狩猟に出かける人がいるとのこと。

その3 大蛇退治(8歳の時)
 父親がいないとき、家の猟犬が裏のジャングルで大騒ぎしているので、なたを持って母親と出かけたら、直径10Cmもある大蛇を犬たちが取り巻いていたのでなたを振り回して切りつけたとのこと。頭は堅くて、なたがはね返されるようだった話していた。母親は、8歳の子どもを後ろから押して前に出し、頑張れというばかりだった。(このときの話のしぐさが大うけ)
 最後は頭を切り取り、家に持ち帰り大なべで煮て食べたとのこと。短く切って煮ているのに、なべの中で跳ねるように動いたという生命力に感心していた。(味はあまり美味しくないとの記憶)

 翌日、Hさんは学校視察に出かけたが、私はJICAのCETABOLという農業試験場主催の農地改良見学会があったのでそちらに出かけることにした。
 参加者が50人程集まったところで、マイクロバスに分譲して見学に出かけた。最初は30分程のところ(途中すべて試験場の農地)の牧草と大豆の輪作試験場で4年間の輪作よる収穫結果の報告が行われたが、スペイン語の説明のためほとんど理解できない。下の写真は、この牧草地の牛の群れである。

 次は川から水を引き水田で稲作をおこなう説明であり、最後はサンファン地区と違い果樹栽培が遅れているこの地区での果樹栽培への取り組みの成果が報告されていた。
 3箇所を見学した後、事務所にもどり参加者全員による昼食会があり、試験場で育てた牛肉のステーキが食べきれないほど振舞われた。