これぞボリビアのカーニバル(記H)  

 <ディアブロ(悪魔)の仮面>

 ボリビアのカーニバルといえばオルーロORUROが有名です。リオデジャネイロ、クスコのそれと並んで南米3大カーニバルと言われています。でも、鉱山の町オルーロは高山の町でもあるのです。標高3,700mと聞き高山病のWさんには行けないと思っていたら、旅行社の情報でオルーロと同じカーニバルがコチャバンバCOCHABAMBAで見られると聞き、先週のサンタのカーニバルで物足りなかった私たちは協力隊のAさんと一緒に土・日を利用してコチャに飛びました。サンタから飛行機で40分、標高2600mのCOCHABAMBAは人口110万人、現在アメリカ資本がなだれ込み工場建設が勢いを増しているようで、いずれ近いうちにボリビア2位のサンタを追い抜くのではないかとの予測もあります。亜熱帯気候のサンタの人々と違って、コチャの人は働き者だとか...
 早朝迎えのTAXIが5:30に来てサンタの国際線VIRVIR飛行場へ向かいました。この飛行場は1985年にJICAの支援で藤田工業?が施工したもので簡素ではありますが、使い勝手の良い建物です。
 また、我が家から車で20分で行けますので便利です。アエロスルAERO SURというボリビアの飛行機会社は、予定通り飛んだり飛ばなかったり、乗客は待つことに慣れているのか1時間、2時間は静かに待っています。カーニバルでオーバーブッキングが予想されるという旅行社の話に1時間半前に飛行場へ行きました。どうやら、無事予定通り飛行機が飛び、コチャの飛行場には旅行社が手配してくれた英語の分かるガイドさんが迎えに来てくれていました。サンタの旅行社から「車の送迎有」とだけ聞いていたので驚きましたが、旅行代金がいやに高額だった理由は「ガイド付きだったのか」と納得しました。日系の旅行社とはいえ、日本のサービス業とは違い、説明不足ということが多々あるのです。
前回、イグアス旅行の時も、支払をカードでしようとしたら「カード支払は発券前だけ受け付けます。」と言われて戸惑いました。日本の旅行社のように目的地の地図さえなく文房具屋で買っていかなければなりません。
<審査員席の前でポーズする仮装者>

 ホテルへ荷物を置いて、すぐにカーニバル会場へ向かいました。カーニバルの時間はあってないようなもの、最低2時間の遅れは普通だそうです。私たちの観覧席は、審査員席の真ん前。出発から3時間位経っている場所でしたので普通なら踊り子達が疲れきってだれてしまうのですが、審査員の前ですので、どのチームもダイナミックに一生懸命踊り、観客席からの拍手や掛け声が一段と大きくなっていました。審査員は10名ほどで以前は市長さんとかの名誉職だったそうですが、あまりにでたらめな審査ぶりだったため、ここ10年ほどバレー学校の先生や振り付け専門家にお願いしているそうです。
 また、ここでは審査員席前の観覧席で見ていたので、サンタと違って水や泡の標的にならなかったのは幸いでした。その代わりに、花吹雪の紙を投げられましたけれど。こちらの人々にとってのカーニバルは、陽気に騒ぐ日と相場が決まっているようです。ですから、たとえ水を掛けられても誰も文句を言えないのです。
<民族楽器を吹きながらの行進>

 サンタでは、プログラムも配られず同じ色や柄のカッパをきたチームが普通に歩いていただけでしたが、コチャはまったく違いました。踊り、踊り、それも1時間前に練習したようなサンタの踊りとは違い、1年をかけて練習したものだそうです。ですから、衣装だけでなく見事な動きがそろった時には思わず拍手が生まれるのです。最初は、軍隊の人々のチームが20組それそれに趣向を凝らして、ボリビア革命時代の軍隊や負傷者の踊りやピノキオや猫の仮装をしたチームがありました。中には、ペプシや牛乳会社の宣伝まであり、「これも踊りなの」と感心しないものもありました。
<負傷者の踊り>

 仮装タイプのチームより、各地方からの特色ある踊りが何と言っても見所でした。ラパスのカポラレスは男子は黒か紺地を基調としたなかに銀や金で刺繍を袖やズボンにした衣装、女子はミニミニのスカートで可愛らしい帽子をかぶっています。そのスカートを思い切り振りながら踊るのです。お尻を振りながらの踊りですから、時々可愛らしいお尻が覗かれるのですよ。男子はブーツに20個くらい鈴がついた靴で、女子はハイヒールで約4時間も踊るのですから、きっと、踊った後でマメができていることでしょう。
<ラパスのカポラレス>

 テインクはチュキサカ県北西にあるユネスコ世界遺産の町スクレーの踊りです。聖母マリアへの信仰や忠誠を示す為に、フォクローレの踊りをするようになったそうです。衣装は、男女ともに刺繍を随所にちりばめたあでやかなもので、布地はタラブコ織の重そうなものもありました。さまざまなチームが同じテインクを踊るのですから、自ずから審査員の目も厳しくなったはずです。コチャの協力隊員も数名踊りに参加して、溌剌と踊っていました。重そうな帽子を下に向けたり上げたり、かなりの重労働とお見受けしました。
<日の丸を腰につけてテインクを踊るJICA青年隊員>

 有名なオルーロの踊りは20kgから30kgのお面をかぶって踊るものです。ボリビアの先住民であるアイマラ族(エボモラレス大統領はアイマラ出身者:先住民に甘すぎるという批判もある)やケチュア族が信じていたパチャママ(地母神)の信仰がスペイン軍の侵入によりキリスト教聖母マリア信仰と結びついたものだそうです。スペイン人侵略者を鬼に見立てているので、ディアブロ(悪魔)のお面をかぶっているのです。1年の収入を全て衣装やお面代にかけるそうで、見ごたえのあるものです。ディアブロの踊りは2003年に世界無形遺産に登録されているそうです。
ディアブロの踊り>

 カーニバル出場チームは71組あったようですが、私たちは朝が早かった為、どの人も疲れてしまい、65チームまで見てホテルへ帰りました。皆さんへ全部紹介出来ないのが残念ですが「百聞は一見にしかず」です。どうぞ、ボリビアへお越し下さい。
<高地では少数民族のチョリータといわれる人々が昔ながらの服装で生活しています>