サンファン学園の取り組み(記H)

 JICAから言われている私の任務は、ボリビアサンタクルス県にある4つの日本語学校に通う子供たちの日本語力を高めることにあります。そのために、原則として2週目はサンファン学園、4週目はオキナワ移住地にあるオキナワ第一日ボ校と第二移住地にあるヌエバエスペランサ(新しい希望)校、そして残りの週はサンタクルス日本語普及学校を巡回訪問し、先生方が学びたいという希望にそって研修を執り行っています。
 これから、各学校の様子を詳しくお話しして行きます。
 今回は、サンファン学園から説明しましょう。1955年、今から52年前にサンファンに移住してきた方々が学校を建てたことが始まりです。当時は、モタクというヤシノ樹の葉で屋根を葺いた校舎で教師2名が指導していたようです。当時はアスファルト道路がなく、雨が降ると泥道になり、小さい子どもは太ももまでつかりながら学校へ通ったと一世の方から聞きました。移住地と同様に学校も紆余曲折を経て、1987年にボリビア国の公認校になり、現在に至っています。
<明るいサンファン学園の校舎>

 この学校の素晴らしいところは、日系人子弟80名に加えて、ボリビア人の子供たちが75名机を並べて学習していることです。通常、ボリビアの公立校では、午前と午後の2部制で生徒も教師も半日しか学校にいません。ところが、サンファン学園では、7:40〜7:55が生徒の登校時間で朝礼やラジオ体操、読書(曜日によって日課が違う)の後、70分の授業が午前中に3コマ、午後に2コマ組まれています。授業の後には、清掃が組まれていて、まるで日本の学校のようです。驚くのは、土曜日にも半日学校があります。1年生から8年生(中学3年生)まで、全員がこの校時に従って学んでいることです。日本の1年生のように、最初の2週間は半日の勉強だけ、次第に給食や午後の勉強へと移行していく、子どもにやさしい(甘すぎる)教育とは違っています。どの子も弁当持参で、居睡り一つせず勉学に励んでいます。日系の子供たちは、一世から当時の苦労話を聞いているので、たくましいかと思われますが、シエスタ(昼寝)を楽しむ習慣のあるボリビア人の子供たちが頑張っているのには感心します。
<お弁当だけでなく、歯みがきもします。>

 この学園では、全員が日本語を週に5時間弱学んでいるのが特徴です。英語は2年生からですが、日本語は1年生から必須教科と位置づけられています。移住地では、給料の安い教師を希望する人がなかなか見つからず、現在は、移住地の方と結婚された日本人の先生と移住地で産まれた2世の先生2名、加えてインターネットで応募して日本からはるばるやってきた先生2名の5名で155名の子供たちに日本語を教えています。
 それぞれに相当なご苦労があるのですが、特にボリビア人の子供たちに教えている2世の先生方は毎回の授業に工夫を重ね、静かに座っていることが苦手なボリビア人の子どもを上手にコントロールしています。今回の訪問では低学年(1年生〜4年生)47名にプロジェクターを使って「あ行」と「か行」の読みと書きの指導をしていました。2月の新学期1回目の授業では、先生が気が付いた時には、3名の子どもがブランコで遊んでいたとか、、、。でも、そんなことは、嘘のように皆真剣にあ、い、う、え、お、と発音していました。高学年になると簡単な作文が書けるようになるのです。子どもは本当に柔軟ですね。
<真剣に学ぶ子どもたち>

 また、日系人の子弟にとって魅力的なことは12名のボリビア人教師から国語や算数など日本語以外の教科をスペイン語で教わることです。ですから、子どもたちは自然にバイリングァルになって行きます。毎日、ほとんどの教科で宿題が出され、親が手伝わなければならないほどの量が出されるようです。ですから、自ずから、スペイン語が得意になっていきます。1世はもとより2世は、まだ学校システムが十分に確立していなかった時代に学校へ通ったので、多少スペイン語の読み書きに自信がない人が多いようですが、3世達はボリビア人の子どもと対等に喧嘩をするそうですから、スペインには不自由していないということでしょう。
そして、彼らが高等学校へ進学すると、いやでもスペイン語のみか英語併用の学校へ行くことになります。移住地には、高等学校がないのでサンタクルスやスクレーなどの都市にでて、寮生活やアパートを借りるなどの生活になります。いやでも、自立した子どもが育成されます。この辺も、日本と大分状況が異なります。
ところで、サンファン学園に来るボリビア人に人気があるのが音楽教育だそうです。じつは、ボリビアの学校では、音楽は楽譜なしの歌詞が書かれただけの紙が配られれば良いほうで、普通は、教師の歌に合わせて耳で覚えるだけ。ピアノなどの鍵盤楽器がなく、ギターで教えればまだ良いほうです。数名の日本人音楽家から聞いた話によると、こちらの民族楽器ケーナサンポーニャは楽器屋で買っても確かな音でないものがあるとか。ですから、みやげもの屋で売っている品は、ほとんどいいかげんなものだそうです。その原因は、こちらの人は音痴だからとのこと。そんなボリビア人に、日本人の先生は楽譜付きプリントを配り、楽典も教えながら日本と同様にリコーダーを教えていました。みんなの音がそろって吹けていました。ボリビア人の親がこの先生の音楽がいいから、月謝が高くても入れたいと希望しているということに、うなずけました。
<音がそろった4年生の演奏>