学校紹介 [オキナワ第一日ボ学校](記H)

 今から24、5年前のボリビアでは超インフレが起き、一晩で貨幣価値がすっかり変わってしまったようです。たとえば、パン1個が1ボリで買えたものが、その次の日には10ボリに値上がりするなど、大変な毎日だったそうです。ですから、主婦が買い物に行くにも農業用の袋に一杯の紙幣を入れて行ったと1世の人から伺いました。そのころ、公立学校の教師や警察官などへの給与は支払われず、しばしばストライキや道路封鎖が行われたそうです。教師が学校へ来ないため、子供たちは満足に授業が受けられず、オキナワの移住地ではエバンヘリコ・メソジスタ校の教育に任せて置けないという雰囲気が高まり、日本語教育も行う私立学校が1987年に創設されました。
<青空が似合う学校>

 現在は、西語職員16名、日語職員8名、事務1名で、児童・生徒数76名(内ボリビア人の子ども7名)を支えています。子どもたちは、午前中は、西語で国語(西語)、算数、理科、社会、英語、体育、音楽、創作、農業、家庭科、コンピューターの授業を受け、午後は日本語(日語)で日本語、学活、道徳、委員会、クラブ、6年生からは三線を習っています。
 年間授業日数は202日ですから、日本の学校と同程度です。日課表は、朝7時50分から10分間の朝礼の後、午前に45分授業を5コマ、弁当と昼休みを挟んで13時から15分間の昼礼で午後の授業が始まります。3コマの授業を終えてから掃除、学活、部活と組まれています。1年生からこのスケージュールをこなすのですから、精神的にも鍛えられます。このように指導内容は殆ど日本の学校と変わりません。一日8コマは日本より多く、年間授業時数も多いいということです。
 学校週5日制の下で、授業時数が以前より減ってしまった日本の学校は大丈夫でしょうか。教育内容を精選から厳選へと文科省は言っていましたが、学力低下が心配だという世論に押される形で24日に全国一斉学力テストをしたことは皆様ご存知の通りです。文科省は、ゆとりが大切とばかり言っていられなくなったのは事実でよう。この教育のゆれが、今後正しい方向で動いていくことを期待しています。
 オキナワの子どもたちは、ギューギュー詰めにしごかれているという悲壮感はまったく無く、どの子も目をキラキラ輝かせています。これを見ると、子どもは「鉄は熱い内に打て」の通り、目標を高く掲げて指導すれば、教師についていくのですね。「甘やかし」は子どもの成長の芽を摘んでしまうのかもしれません。
<輝いている子どもたち>

 5日間の授業だけでなく、週末は様々な地域の行事に参加しなければなりません。運動会、4校スポーツ交歓会、お話大会、豊年祭、ソフトボール大会などの行事に加えて、敬老会にも出し物をします。ですから、日語の先生方はもとより高学年の子どもたちは休日がないのが現状です。日本のように選ばれた子どもだけでなく、全員参加が原則ですので子どもたちは忙しい毎日を送っています。でも、日本のように塾やスイミングスクールで忙しいということではありません。
<おとなのチームとも対戦する子どもチーム>

 先週の金、土曜日にはオキナワ移住地にある2校が一緒に宿泊学習をしました。5年生以上の66名が参加して、プールで泳いだ後にカレーを作り、夜は赤々と燃える火を囲んでキャンプファイアーをしました。日本の林間学校とほとんど同じ内容で、立派な「しおり」が作成され6班に分かれて行動しました。今年は、つりクラブという釣堀で実施したため、芝生刈り、消毒、テント張りなど保護者が協力してくれた上、キャンプファイアーの後の肝試しには高校生以上の青年会が協力してくれ安全が守られ楽しく実施できました。日本では薄れつつある地域の教育力がみごとに発揮された場面でした。
 きびきびと上級生が動き、初めて参加の5年生もお手伝いをしながら肉や野菜を切ったり、目に涙を浮かべながら火を熾したりしてカレーコンテストが行われました。私は審査委員長として参加したので、子どもたちに分かりやすくうちわの賞状を作りました。直径25cmくらいの円の表面に、「カレーづくり」の6文字を書き、裏には「かおりが最高だったで賞」「レトルトよりコクがあったで賞」「チョーうまかったで賞」「ずばりおいしかったで賞」「くいしん坊が作ったで賞」「りそうの味だったで賞」と書いて渡しました。暗い戸外での賞状渡しでしたが、子どもたちは喜んで大きな拍手をくれました。
<玉ねぎで涙がでました>

 この日ボ校では、スペイン語と日本語の授業を通して、自然に2言語が身に付き、将来ボリビアで活躍していける日系ボリビア人が育っています。今年度は、創立20周年を記念して10月には式典を行うそうです。これまでに至るには、沖縄県が派遣した教師やJICAのボランティアの協力の力も大きかったと思っています。彼らの足跡は様々なところで垣間見ることができます。例えば、平哲男さんという沖縄派遣教師は「村の心」という歌を作詞・作曲され、今でも歌い継がれています。子どもたちは三線の伴奏に合わせて歌ってくれます。そして、エイサーが得意だった先生は子どもたちはもとより地域の青年をも指導して、現在では、このエイサーの演奏と踊りが豊年祭だけでなく各種イベントにも引っ張りだこだと聞きました。私は、子供たちのレベルに合った日本語の指導で学力が高まるよう先生方を応援し続けて行きたいと思っています。
ボリビアの空に響く三線の音色>