お別れは笑って笑って(記H)

 6月に入り、どの学校へも最後の訪問になりました。3日から6日までサンファン学園訪問でした。
 4日の放課後には、私達の送別会が講堂で開かれました。用務員さんも入れて、全員で会を催して下さったのには感激しました。最初に、校長先生から「算数研修をしてもらったり、数々の助言をしていただき役にたった。感謝している。」と有り難いお言葉をいただきました。確かに、校長先生は良い方向へ変り、今では各学級への授業参観をするようになって、その後で先生方と話し合っているそうです。校長が授業への関心を持てば、先生方は分かりやすい授業をしようと張り切ることでしょう。これからも、学園の子ども達の学力が高まるよう、大いに期待しています。
 そして、ボリビア人の男子教師全員でフォークローレの演奏をしてくれました。会場はすぐに手拍子で答え、モイセス先生のこぶしの利いた歌声に合わせました。どの先生も楽器を上手に演奏できるので感心しました。殆どの先生方はフォークローレが盛んなオルーロやポトシのご出身だそうで、小さいころから楽器に親しんできているのだそうです。先日はある大学で開かれた音楽フェスティバルで、このグループは優勝したのだそうです。
<体が自然に揺れて>          <踊りも飛び出して>  
 
 Wさんの手品も大うけで会場をにぎわしました。特に、校長先生の手のひらの上で最初は1つだった赤い玉が、2つ、3つと手を開くたびに増えていった手品には、校長先生自身が驚き「不思議だ、不思議だ」と言っていました。このことに気を良くしたのか、Wさんは「では、1つだけタネ明かしをしましょう。」と言いながらトランプの手品をして見せました。タネが分かれば、皆「なーんだ。そんなに簡単なことだったのか。」と少々がっかりした様子でした。どうも、手品はタネ明かしをしないほうが賢明ですね。
 最後は「齋藤先生の番だ」と言われて、何も準備していかなかったので歌を歌いました。「シャローム(平和)」というお別れの歌をヘブライ語で歌いました。
ボリビアの手彫りの民芸品を記念にいただきました>

 翌日は、日本語の先生たちが夕食会を催してくださいました。ご主人が長崎出身の皿うどんの美味しい日本食堂で行われました。川魚パクーのさしみから始まって、ゆでイカ、ギョウザ、白身魚のフライ、チャーハン、焼きそば、厚切り牛のステーキなどが次から次へと運ばれ、皆の胃袋へドンと納まりました。Wさん以外は女性なので、おしゃべりも終わりがないほど楽しくにぎやかに夜は更けていきました。
<毎晩の残業も厭わないタフな先生達>

 最終日6日は「先生の日」で、ボリビアの公立校はお休みです。でも、この学園では、生徒達が先生方を楽しませてくれながら日頃の感謝をする日になっています。9:45から12:00まで、学年別の出し物がありました。たった1週間の練習とは思えないほど、どの学年の出し物も凝っていて感心しました。低学年の出し物は、先生が指導するのではなく、8年生(中3)が1年生の踊りの指導を行い、7年生が2年生をというように先輩が後輩の面倒を昼休みの時間にしたそうです。1年生:「ゴリラの踊り」、2年生:踊り「NoNoNo」、3年生:「ロックの踊り」、4年生:「モダンダンス」、5年生:劇「学校の一日」、6年生:寸劇と踊り「インパクト」、7年生:踊り「友達」、8年生:踊り「メキシカーナ」
 低学年は、あどけなく舞台に立っているだけでもほほ笑ましいものですが、上手に踊るので会場からは自然に大きな拍手が沸きました。高学年の踊りはバク転あり、逆立ちありでロックやヒップホップが主流でした。全員が体操部かと思わせるものでした。
また、5年生の「学校の一日」と題した寸劇は生徒の脚本とは思われないほどエスプリのきいた物で、だじゃれも中々楽しいものでした。例えば、教師役の生徒が「今日の宿題は詩でしたね。」と念を押すと、ある生徒はノートに「し」と書いたものを見せ、次の生徒は「死」の字を見せたりして、会場は爆笑の渦に巻き込まれてしまいました。
6年生の寸劇は、チョリートと呼ばれるインデヘナの人々の価値観を風刺した劇でした。最近は、彼らが自分の名前をお洒落に西洋風にしたがったり、古くからの伝統を尊ばずに生活様式も西洋風に変えたがるのだそうです。そんな様子を、3人の男子生徒が上手に照れずに演じてくれました。
<メキシコの踊りは優雅に>       <よく通る声で堂々とした演技>
 
 午後は、生徒と先生の対抗スポーツ大会が開かれました。1年生と4年生というように2学年が一緒になって、本気で先生チームを負かそうと頑張ります。最初は、ドッチボール、次は「おにごっこ」でした。
 もちろん、先生方は軽い玉でたくさんの子に当てながら楽しく遊ばせています。でも、中学生からは容赦しません。それでも、コートから全員が先に消えたのは先生チームでした。私が働いてきた学校では、運動会の他にスポーツ大会というのがありましたが、生徒達の陸上競技大会だったり長縄などのレクレーション的な運動だったり、生徒と教師の対抗試合というものはありませんでした。この学園のように、生徒会自らが企画、運営し先生方の手を一切煩わせないというのも見事だと感心しましたし、だからこそ、このような楽しい企画になったのだとも思いました。日本の先生は過保護に手を下し過ぎかもしれません。
<積極的にボールを追いかけて>        <ぼくがキャッチ>