湯布院・高千穂・長崎旅情3日間(3日目)

 今日はまず長崎観光から始まる。最初に大浦天主堂に向かう。 大浦天主堂は二つの歴史的出来事と密接に関わっています。
 一つは、言うまでもなく大浦天主堂の正式名称である「日本二十六聖殉教者天主堂」からもわかるように、1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
 もう一つは、1865年におきた信徒発見です。大浦天主堂1864年にたてられ、翌1865年2月から公開が始まった一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げました。プチジャン神父は大喜びでフランス、ローマに報告しています。
<国宝 大浦天主堂

 続いて、大浦天主堂の裏手にあるグラバー園に向かう。
 遠くスコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが、ここ南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。当時の長崎の街は、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていました。
 大洋の波涛を越え、夢を抱いてやってくる異国の商人たち。倒幕の野望に燃える幕末の志士たちや、西洋の学問を志す日本の若者たち。あれから100年以上たった今も、ここはグラバーたちの家族が暮らした当時の記憶が、共に長崎を愛し長崎に暮らした貿易商たちの邸宅が、形を変えることなく残されています。
<グラバー邸>

グラバー園から長崎港を望む>

 園内にある、長崎伝統芸能館には、長崎のお祭り「長崎くんち」に奉納される龍踊りの白龍、青龍、各町の奉納踊りを先導する「傘鉾(かさぼこ)」と呼ばれる豪華な飾りなどが展示されている。

 次は、市内に戻り眼鏡橋を見学

 長崎平和公園に向かう途中で、原爆の傷跡を残す一本柱鳥居を観る。ただ1個の原子爆弾によって、この地区もことごとく灰となりましたが、この鳥居は爆心地に近いながらも強烈な爆風に耐え、今なお奇跡的に立ちつづけています。
この鳥居は、山王神社の二の鳥居として1924年10月建てられましたが原子爆弾の炸裂(爆発)と同時に猛烈な爆風によって片方の柱をもぎとられました。
<一本柱鳥居>

 平和祈念像(へいわきねんぞう)は、長崎県長崎市松山町にある平和公園の北端に建てられた像。北村西望(きたむら せいぼう)によって造られた。

 長崎観光の後は、島原港から熊本港まで有明海のミニクルーズを楽しむ。
<フェリーから島原半島を望む。>

 今回の旅の最後は、熊本城の観光である。
 熊本城の天守閣・本丸御殿一帯は、西南戦争開戦3日前に原因不明の出火で焼失した。現在の天守閣は昭和35年に外観復元したもの。
<大小天守閣>

 宇土櫓は、創建当時から残る唯一の多層櫓である。地上5階地下1階で他の城の天守に匹敵する。
宇土櫓>

宇土櫓の廊下>

 帰りの便は、台風の影響で欠航になるのではないかと心配したが、無事フライトすることになったが、別の機体の影響で1時間ほど遅れ羽田着は11時過ぎになってしまい、浜松町のホテルにチェックインしたのは12時を回ってしまった。
 我々が乗った機体は、ボーイング747-400型機(通称:ジャンボ)で、2014年3月末日をもって退役する予定ですということで、記念撮影を行った。
<ジャンボ機>