板谷波山と岡倉天心

 岡倉天心 生誕150年・没後100年、板谷波山 没後50年を記念して、茨城県の美術館で記念展が開催されているので出かけてみた。
 北関東道を利用して、まず板谷波山展が開催されている茨城県笠間市の「茨城県陶芸美術館」へ。約150Km 2時間半
 幕末から明治初期にかけて欧米で開催された万国博覧会で高い評価を受けた日本の陶磁器は、明治政府の後押しもあって次々と海外に送り出され、西洋の美術にも少なからず影響を与えました。ところが明治の後半では、旧態依然とした日本の陶磁器のデザインは批判の的となり刷新を迫られていました。そして意匠や釉薬など新たな研究がはじまりますが、この近代陶芸の出発点というべき時期に中心的な役割を果たしたのが板谷波山でした。
 大正6年の日本美術協会展で波山は葆光彩磁の傑作が、すべての出品の最高位である1等賞金杯に輝き、この作品によって名実ともに日本陶芸界の頂点に立ちました。「葆光」とは、光沢を隠すこと、物の線界をやわらかく、薄く描くことを意味し、独特のマット釉(つや消し釉)を用い、淡い幻想的な色彩を醸し出しました。
 波山の素晴らしい作品をたくさん見ることが出来ました。
<葆光彩磁葡萄紋様花瓶 茨城県指定文化財

 次は、笠間から80Km 1時間半 「茨城県天心記念五浦美術館」へ
 天心は、若干12歳で東京開成学校(現東京大学)に入学。明治13年に文部省に入省し、日本の美術品の保護活動に携わります。その後27歳の若さで東京美術学校(現東京芸術大学)の2代目校長に就任します。しかし、学校内部の確執のため職を辞し「日本美術院」を創設し、横山大観や下村観山などを育てました。
<修理に携わった、国宝 国常立命坐像>
 天心がいなければ、多くの国宝が失われていたかもしれない。

 天心の晩年の拠点であった五浦にはゆかりの史跡が点在している。
<旧天心亭>

<六角堂 先の東北地震で流失したが再建された。>

<五浦岬からの展望>
 
 ここ北茨木は、童謡の詩人「野口雨情」の故郷でもある。有名な「シャボン玉」は、雨情の娘さんが亡くなった時に創られた歌らしい。そう聞いてみるとちょっと悲しい感じがする。
<野口雨情の生家>
 
 今日、五浦美術館でアンサンブルと合唱の演奏が行われた。茨城県を代表して10月24日にニューヨークのカーネギーホールで演奏してきたとのこと。ソプラノの一人が野口雨情のお孫さんということもあり、雨情の童謡のメドレー等親しみやすい演奏であった。