史跡 上野国分寺跡

 上野国分寺まつりの行われたところは、史跡 上野国分寺跡である。
 まつりのイベントにこの上野国分寺跡の発掘調査の報告会が行われ、それに参加した。
 天平13年(741)、聖武天皇の詔(みことのり)により、全国68の国々に国分僧寺国分尼寺が創建されました。上野国分寺は、この詔により建造が始まり、天平勝宝元年(749)に主要な伽藍が整ったと考えられている。
上野国分寺 史跡復元図>

<七重の塔 復元模型(20分の1)>

 ここには、金堂の基壇・・南側の築垣が、復元されている。
<金堂の基壇> 
 但し、今年発掘調査で新たに金堂の版築層が発見されたため、これは講堂の基壇ではないかと言われている。

<七重の塔の基壇>
 塔の高さ60.5m 基壇は一辺19.2mで17個の礎石が並んでいます。この塔が消滅した時期については、はっきりした記録は残っていないようです。

<版築で復元された、南辺築垣>
 古代と同じく、手作業でつき固めて土を積み上げる版築工法で作られています。

群馬県教育委員会 文化財保護課の方による発掘現場での説明>

<回廊跡(手前側)と新たに発見された金堂の版築層と思われる発掘現場>